息子のスマホ。
使いすぎなんだけど、
「すぐ通信制限かかる。
きっと誰かに乗っ取られているに違いない」
と言われた。
あ、ごめん、多分それ母だ。
あなたがどこにいるのか把握したくてiphoneを探すをよく起動して、そのまま起動しっぱなしにしてしまったり。

娘4年、息子1年。
う~ん、いまいち覚えていない。
あ、息子は1年生の時、けん玉がすごく上手になっていた。
学童で将棋チャンピオンになっていた。
動物嫌いなのに、象のはな子の作文でコンクールに出ていた。
おぬし、やるな。
狭い世界でもいい。
鶏口牛後。

日能研に通い始める娘

娘は3年生の夏期講習から日能研に通い始めました。
深い意味はない。
ただただ、自己肯定感の低い娘に何か一つでも多くの得意を持たせてあげたかった。
嫌そうだったら秋からは続けなければいいだけ。
スポーツとか、本当に得意なことがあったら多分やらなかったんじゃないかな。
そして、秋からも続けたいと言った。
だから続けることに。
お金はかかった。
日能研はよくある(本当に頻繁によくある)テストで成績順に席が変わるシステム。
娘の通った校舎は3年生の時はランダムに適当に席が毎回変わっていた。
ただ、体験授業とか、途中入塾の子は一番前にしてもらえる。
それが娘には良かったらしい。
「目をかけてもらえた!」
かまってちゃんの娘。
クラスメイトものびのびした子が多かったらしく、学校とは違う自分でいられる環境。
何のプレッシャーもなく、気負いもなく受けた復習テストは良くて、ご機嫌。
こんな入塾のきっかけ。

4年生になった娘

4年生になれば復習テストは隔週。
その間に模試とか。
忙しい週末。
当時は成績優秀者の名前が載る冊子があって。
初めて受けた模試でカタカナで名前が載って、嬉しくなって。
テニスもやり、文章表現教室も行き、日舞もやるなんていうなか、のんびり勉強。
でも真面目なので、やらなくちゃいけなところはやっていた・・・多分。
私もそんなにがつがつせず、受験するなら頑張れ、6年間楽しんで通ってくれ。
途中退学した母からしたら大分ハードルは低い。
途中退学したって生きてる。
辛い6年間は嫌だ。

娘の武器

1つ勉強をするうえで娘の武器だったのは計算のスピード。
100ます計算をひたすら学校で競っていたのもあって、早くなっていた。
公文とかはやっていなかったけど、クラスみんなで早くなっていた。
ちなみに息子もやっていたけど、まったく早くならなかったので、たまたま向いていた娘のクラスだったんだと思う。
娘は計算が速い方だったので、算数不得意でも助けになっていましたという話。

4年生秋の面談

「文化祭とか行かれましたか?」
「あ、2校ほど」
「おぉっ。共学と女子校どちらがお好みでした?」
「あ~・・・共学かなぁ?」
「私は今まさに女子校をお勧めするべく、ここに座っています」
え~食い違い。
今思えば、あの先生はあのクラスの女子ほとんどに女子校2校ほどのどちらかをお勧めしていたのでは?と思うけど、思惑通り娘はその女子校志望になり、合格し、楽しく通っているからご縁だと思う。
ちなみにそちらの共学は受験せず。
先生good job と今は思う。
言われなかったら目指さなかった。

4年生の学校生活

勉強での反抗期はまだなく、学校も4年生は6年間で1番良いクラスとおおらかな先生で順調。
ただ、日舞だけは本当に・・・。
親子げんかはいつもこれ。
やらないチョイスを与えずに申し訳なかったと思うけど、きちんとけじめをつける時期まで嫌でもつづけたのは娘の根性。

息子1年生はZ会で

息子はとりあえず勉強のくせをつけるためにZ会を。
いろいろドリル買うほうが安いんだけど、よく分からないのと、他人に添削してもらった方がよさそうだったので。
実はZ会は息子が受験終了するまで形は変われどお世話になった。
日能研×Z会で受かったと息子は言っている。
あ、もちろん執念が一番割合多くて。
1,2年生のZ会は絵日記のようなものを描いて提出するのがあって。
今でも見返すと本当にかわいい。
可愛さのピーク。

明日は娘の模試の結果とか。

台湾カステラ作りました

台湾カステラ。
こちらは余ったものをカップケーキ風に。
チーズが利いていておいしい。